2024年7月30日火曜日

パリ五輪・阿部詩ギャン泣き、どう思う?

 もともとスポーツにはあまり興味はない

だが、七時のニュースなどの

スポーツコーナーで取り上げられる程度には

知っている


パリ五輪のニュースで

柔道の阿部詩選手の号泣画像を見た


事情をまとめると

柔道の二回戦で負けた阿部選手が

畳から降りた後

幼児が泣きわめくような勢いで

3分間にわたって泣き叫び続け

コーチがなだめてもどうにも止まらず

次の選手も入場できなくなり

試合の進行まで滞った、というのだ


これが、感動した、もらい泣きした、という意見と

みっともない、泣きすぎ、という意見と

賛否両論なのだそうだ

私としては

悔しいのは分かる

泣きたくなるのもわかる

だが、あの泣き方は、ちょっといただけないと思っている


勝負なのだから、勝つ人もいれば負ける人もいる

むしろ、五輪ならば

勝つ人はたった一人で、あとは全員負けだろう

阿部選手が勝った時にも

負けた選手はいたのだ

だが、試合の進行を止めるほど

泣き叫んだ選手はいなかったはずだ

阿部選手の負けた試合は

誤審でも何でもない、誰の目にも鮮やかな負け

相手の選手は、世界ランキング1位

つまり、阿部選手より強い選手だ

ならば、しかたが無かろう


それに、そもそも五輪というのは

世界中の人々が

同じルールの下で全力でスポーツを楽しみ

互いに友好と平和の礎としよう、という精神で

行われるスポーツ大会のはずだ

……すくなくとも、建前はそうだ

  私は、一時期、東京五輪のボランティアに応募していて

  (途中で辞退したが)

    研修で、この「オリンピック精神」を

  徹底的に叩き込まれたので

  この点だけは間違ってはいないと思う……

メダルを目標にしていたのは分かるが

どうにも、「オリンピック精神」に

ふさわしい行動には見えない


「礼」の点でも引っ掛かる

私には息子がおり、高校まで剣道をやっていた

その時の、道場の師範に叩き込まれたのが

剣道に限らず、茶道や華道でも

「道」とつくものは

単なるスポーツや技術とは違う

精神の鍛錬と、人格の修養を大切にしている

まず

「礼に始まり、礼に終わる」

道場の師匠にも、同輩にも、むろん、対戦相手にも

礼を失することは絶対にしてはならない

ということだった

その道場は、特に厳しかったのかもしれないが

公式試合などの、遠征に行くときでも

電車の座席には、絶対に座らせなかった

重い防具と竹刀を抱えて

君たちは、普通の人達より体を鍛えて、体力がある

だから、座席は他の人達に譲ってあげなさい、と言われ

邪魔にならないように、礼儀正しく

吊革につかまっていた


それと比べると

あのギャン泣きの間

離れたところで、退去しなさい、という

ジェスチャーをしていた係員に対しても

入場できなかった、次の試合の選手たちにも

勝った相手に対しても

礼を欠いていないかと思ってしまう


一生懸命、数年をかけて頑張ってきた、のは分かる

だが、そんな人は世の中には、ザラにいる

司法試験などは、10年かけて勉強し続けて

やっと合格した、という話をよく聞くが

だからと言って、合格発表の会場で

ギャン泣きしている人がいるとは、聞かない

それに、努力せずに五輪に出てきている選手など

一人もいないのではなかろうか


それに、私が一番、困ったな、と思ったのが

日本人のイメージダウンにつながらないか、ということだ


多くの日本通、と呼ばれる外国人

特に、南米系の人から良く言われるのは

小泉八雲の「日本人の面影」や、新渡戸稲造の「武士道」

に感動しました、という誉め言葉だ

特に、小泉八雲の「日本の面影」は

私の知人の外国人は全員が読んでいた


長いが、ちょっと引用してみる

引用部分は、わかりやすいように色を変えて

青にしている


日本人の微笑について


相手にとっていちばん気持ちの良い顔は

 微笑している顔である


 だから、両親や親類、先生や友人たち

 また自分を良かれと思ってくれる人たちに対しては

 いつもできるだけ

 気持ちのいい微笑みを向けるのが

 日本のしきたりである。

 そればかりでなく、広く世間に対しても、

 いつも元気そうな態度を見せ

 他人に愉快そうな印象を与えるのが

 生活の規範とされている


 たとえ心臓が破れそうになっていてさえ

 凛とした笑顔を崩さないことが

 日本人の社会的な義務なのである


 反対に、深刻だったり

 不幸そうに見えたりすることは

 無礼なことである


 好意を持ってくれる人々に

 心配をかけたり

 苦しみをもたらしたりするからである」


なんだか、引用していて冷や汗が

出そうになつてきた

しかも、まだ続きがある


「例えば、初産の子供を亡くした母親が

 葬式ではどんなに激しく泣くとしても

 微笑を浮かべて

 子供の死を報告するだろうと思われる


 しかし、この笑いは

 自己を押し殺しても礼節を守ろうとする

 ぎりぎりの表現なのである


 この笑いが意味しているのは

  ゛あなたさまにおかれては

   私どもに不幸な出来事が起こったと

   お思いになりましても

   どうぞ、お気を煩わせませんよう

   お願いいたします

   失礼も顧みず、このようなことを

   お伝えいたしますことを

   お許しください‘’

 という内容なのである」


ちょっと美しすぎるが

これが、外国の「知日派」の人達の

日本のイメージなのは事実だ

道理で、あのギャン泣きに

外国人らしいカメラマンが

興味津々で、何人も集まってきて

アップで撮っていたわけだと思う

今まで信じられていた凛々しい日本のイメージを

たった一人で

完全に打ち砕いてしまったかもしれない、となると

どうも、単純に共感など、できなくなってしまうのだ


泣くなとは言わない

大いに、悔しかったことだろう

だが、泣くなら人のいないところで

せめて、控室あたりで泣いて欲しかったものだと思っている






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