2024年5月1日水曜日

我が子は他人

 ツイッター(今はXというらしい)の

トレンドワードで

「我が子は他人」というのが上がっていた

ゴールデンウイークだから

顔も見せない子供を嘆いてのことかと思ったら

何のことはない、今日放送された

ドラマの中のセリフらしいのだが


内心、私は文字通りの意味で

「我が子は他人」だと思っている

息子と孫は、いることはいるが

息子は昨年の秋、私の父(息子からすれば祖父)が

余命宣告を受けたときに会いに来た以外は

父の葬儀に顔を出したきり

一度も会ってはいない


私が住んでいるのが関東で

息子一家は大阪ということもある

コロナの大騒ぎもあったが

六、七年会わずにいると

ほとんど他人と変わらない


最初のうちは、それでも一抹の寂しさはあったが

それも、積み重なるうちに、だんだんと慣れた

考えてみれば

私も20代、30代で

仕事が忙しかったころは

たまの休日は、ごろ寝で疲れをいやしたかったり

旅行に出るにしても

行きたかった海外旅行や、観光ツアーなど

自分が遊ぶことがメインで

親元にいくのは、一種の「仕事」のように

感じていたところも、なくはなかった

息子も、そういうことなのだろう

自分もできなかったことを、息子に求めるのも

酷というものだ


それに、特に結婚したら

男の子は、嫁のものだ

実家に引っ張ろうとするから

嫁と実家の間に立たされて、夫が苦労するのは

橋田寿賀子が「渡る世間は鬼ばかり」を書いていたころから

少しも変わらない

いわば、人生の真理のようなものだと思っている


それに実をいうと

今は、今月末の受験勉強で忙しい

遊びに来る、などと言い出されたら

部屋の掃除から始まって

孫に危険の内容に、家具や調度品を整えたり

寝具だ、食事の用意だと

あれこれ、「おもてなし」に時間と労力がかかる

少なくとも、今は

こうしたことは一切やりたくない

非常にわがままなのを承知で言えば

放っておいてもらえて、実にありがたい


我が子とはいえ

子供を持ち、人の親になったら

第一の責任は、息子の妻と子供にある

なので

私が体が弱ったり、動けなくなったりしても

息子に介護は頼めない、

「我が子は他人」と思いを定めたら

そのあたりの、わりきりもすっきりとできるようになった

介護保険を使い、ヘルパーさんを頼んで

在宅ひとり死を遂げられるよう

情報収集やら、マネー対策やら

おひとりさまと同じように

着々と整えている


そしてもう一つ

「我が子は他人」と割り切って

一番スッキリしたのは

「財産は残さない」と決めたことだ

現在の日本の精度では

ヘルパーさんだけではなく

在宅診療、在宅看護、在宅マッサージまで受けられ

ベッドも、在宅介護用の電動ベッドがレンタルできる

夜が不安ならは

これは完全に自費になるが

毎晩、看護師さんに付き添ってもらうこともできる

だが

これらのサービスは、すべて有料だ

財布と相談しながら、ということになるのだが

そのときに

「子供と孫に、財産を残してあげなくては」と

思うと

どうしても、自分の受けたいサービスを削ることになる


それが

「我が子は他人」

「財産は残さない」と割り切れば

それだけでも、かなり満足のいく

最終楽章が迎えられそうな気がするのだ


とはいえ、これは今の私が考えていることで

あと15年くらいたって

1人暮らしが心細くなったら

全然違うことを言いだしているかもしれない

だが

今のことろは

自分に与えられた最大限の自由を思い切り活用して

愛猫と遊び、家庭菜園の世話をし

昼風呂につかり、散歩を楽しみ、新聞をよみ

手料理とコーヒーに舌鼓を打ち

美輪明宏のCDをかけ

好きなものに囲まれて

一日一日を、幸せに過ごしていきたいと思っている





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