2024年8月14日水曜日

卓球女子・早田ひな選手にブラボー

 スポーツにはあまり興味がないせいで

五輪も協議はあまり見なかった

それでも、卓球の早田ひな選手が

メダルをとったことくらいは知っていた

団体と個人、中国には及ばないものの

善戦して、銀・銅をそれぞれ1個ずつ、だったはずだ


それはそれで、見事だと思うのだが

私が、ブラボーだと思ったのは、そこではない

正直、あまりにも多くの元五輪選手が

問題を起こしているのを見過ぎてしまって

五輪のメダル、だけでは

観劇できない体質になってしまったのだと思う

……早い話が

  元五輪選手で、政治家になった方々

  橋本聖子サンを筆頭に

  それぞれが

  どうにも、感心できないお働きぶりで

  「正体見たり」という感じがするのだ……


私が、早田選手にブラボーと思ったのは

帰国会見の内容だ

今やりたいことは、という質問に

早田選手は

「鹿児島の特攻資料館に行きたい」と答えた

その理由は

「生きていること

 当たり前に卓球ができることが

 当たり前でないことを感じたい」

とのことだった


まさに、平和な世の中に生まれた

戦争のない国に生まれた

それだけで、「国ガチャ」に大きく当たった

大ラッキー、だと私は思っているのだが

確かに、生まれたときから平和で

平和が当然、誰も自分を殺しに来ないのが

当たり前だ、という世代の人には

それが肌で実感できないだろう

それを実感するために、特攻隊の資料館に行く

見事なこころざしだと思う

まさにブラボーだ


ただ、少しだけ

意地悪を言わせていただけるなら

特攻資料館をあえて選んだのなら

「当たり前が当たり前ではないことの実感」

という「自分の気持ち」だけではなく

だけではなく

生きようとしても、生きることを

許されなかった方々のために

どうぞ、安らかに、という

慰霊、鎮魂の思いを捧げてきたい、という

「他人への思い」が一言あると

なお素晴らしかったと思う


私は、特攻隊の施設には

行ったことはない

代わりに、というと語弊はあるのだが

靖国神社の博物館なら、行ったことがある

毎年、桜を見に行くついでに

時間ができたので、ふと立ち寄ってみたのだが

……正面のホールに

  ゼロ戦が展示してあり

  兵器関連の博物館かな、と

  一種の知的好奇心が刺激された、という

 かなりイージーな理由だったのだが……


正直、もっと「忠君愛国」を振りかざす

威勢の良い品物を集めた博物館を想像していた

実際の博物館は

幕末から始まり

ヨーロッパ列強の脅威にさらされることが

どれほど危険であったのか

歴史に沿って、事実を淡々と積み重ね

資料を並べていく

知的で、穏やかな印象の博物館だった


私がどうにも苦しくてならなかったのは

最後の数部屋

壁一面に飾られているのは

太平洋戦争の犠牲者の遺影だった

何部屋にもわたり、白黒の遺影が

四方の壁一面に、ずらりと飾られている


写真そのものは、あまり大きくはない

ドリップコーヒーのパックを

二回りくらい小さくしたくらいの

片手の手のひらと、同じくらいの大きさだ

その遺影が、司法のかべの天井近くから

目線の及ぶところまで、びっしりと飾られている


それぞれには、その方の亡くなったときの状況が

ごく短く、書き添えられている

全員が、亡くなった方だ


どうしても見ていられず

逃げるように、次の部屋に入った

そこも、慰霊の部屋だった

同じように、写真が連なっている

その次の部屋も、同じだった


逃げてはいけない、と言われているような気がした

知ることが、後の世代の義務だ、と

突きつけられている思いがした


遺影は、戦死者だけではなく

戦病死者、犠牲になった医療従事者

まだ若い、女性の遺影も複数あった

近寄って、キャプションを読んでみると

終戦直後、樺太で最後までソビエト軍の

侵攻状況を伝え続け、他の人々の避難を守ったあと

ソビエト兵からの暴行を受ける前にと

集団自決を遂げた

電話交換手の女性たちの遺影だった

……彼女たちの思いが、決して杞憂ではなかったことは

  満州の引揚者たちの証言や

  近年では、ウクライナ、特にブチャで起きた出来事が

  無言のうちに照明していると思う……


花嫁人形も飾られていた

キャプションによると

結婚することも無く、亡くなった方のために

ご遺族が、せめて、極楽では

この人形のように美しい花嫁と一緒に、と

神社に人形を奉納することが多かったのだそうだ


もう、たまらなかった

遺影の写真の目に、私は心底おびえた

あまりにも多くの不条理な死

しかも、私の三分の一くらいしか生きていない

人々の死が

四方の壁から押し寄せてくるようだった


ごめんなさい、でも、ありがとう、でもない

悲しみと、怒りと、いたたまれなさと

こんな非道いことがあっていいものか、という

自分でもなんと言えばいいのかわからない

どんな言葉でも表現できないような思いが

腹の底からこみあげてきた

遺影には、名前の後ろに「命」とつけられている

これは何だろう、としばらく考えていて

「みこと」ではないか、と思い当たった

日本神話の、神につく敬称のようなものだ


私は無神論者で、宗教は信じていない

靖国神社の合祀に関しても

大学時代、判例研究で扱った

これは、あまりすすめられたものではないとは

今でも思っているが

それでも、それとは全く別の次元で

この人達は神だ、神になったんだ、と

叫びだしたい気持ちだけは、わかるような気がした

そうでも叫ばなくては

余りにも救いがなさ過ぎるだろう


あの博物館のことを思い出すと

今でも、感情がぐしゃぐしゃになり、

上手くまとめられない

ただ、日本にほんの数十年前

こんな時代があったのだ

これが、現実なのだと、知ってほしい

ただ単純に、知ってほしいと思う

無かったことにして、忘れ去ってしまっては

あの、壁の大量の死者たちが

あまりにも、やりきれいだろうと思うのだ


早田選手がきっかけになり

この時代を知ろうとする、若い世代が

少しでも増えてくれるといいと思う

早田選手、本当にブラボーだ







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