昨日、ブログで
施設に入るよりも一人暮らしの方が好きだ、と書いたら
どうして施設がイヤなんですか、という
質問のメールをいただいた
私の場合
施設がいや、というよりも
集団生活が嫌いなのだと思う
理由は、はっきりとしている
子供のころから、学校が好きではなかった
中学校の頃、担任の責任もあったと思うが
クラスでは一年の間に
大きなイジメ事件が三件起き
それ以来、学校を含めて
ありとあらゆる集団生活が
大嫌いになった
「みんな」の言葉の下に
「私」という一人の思いを押しつぶす
人から嫌われないように
「私はみんなと同じです」という仮面をかぶり
目立たないように過ごさなくては
もしどおり、あぶなかった
人生の中で、一番苦しかった
50年も前の中学校時代が
きっちりとトラウマになり
今でも、集団生活アレルギーになっている
大学に入り、一人で居たいときには
一人で居られるようになり
やっと、息がつけたようなものだ
なので、この年になって
しかも、人生のゴールを
また集団生活を繰り返す、など
考えただけで、ふるふるイヤなのだ
集団生活のどこが嫌いというと
決定的に合わない人がいても
その人と、毎日毎日、顔を合わせなくてはいけない
その人の方が力があるときには
決してにらまれないように
最低限、相手のご機嫌うかがいをする
これが、気に入らない
相手に合わせる
ある程度、顔色を見ることも
人付き合いには必要だろうが
大事にする相手は、自分にとって
大切な相手だけで十分だろうと思う
人生のゴール近くになって
なけなしの気力と労力で
好きでもない相手に気を遣うのは
いかにも、もったいないと思う
どうせなら、その気力と労力で
本当に、自分が好きなことをして
最後には、ああ、面白い人生だった
そう、言いたいのだ
自分が笑いたいときに笑い
言いたいことを言いたい
それには、ケンカのできない相手のいる
集団生活は、少々不都合だ
それに、集団生活だと
確率的に、50人もいれば
少し、妙なタイプも1人くらいはいるだろう
ここでいう「妙なタイプ」というのは
いわゆる、「老害」扱いされているタイプ
ちょっとしたことで怒鳴りだしたり
自分の方があなたより上だ、
無意味にマウントをとってきた理
昔の肩書の自慢話をしたり、という
あの手のタイプだ
施設なら、どんなホテル並みのサービス付き住宅でも
食事は、広い食堂で
共同で、同じ時間にすることになるだろう
その中で
たった一人でも、くだらないことから
怒鳴り始める人でもいたら
雰囲気はぶち壊し
食事ものどを通るまい
こういう目には、絶対に会いたくない、となれば
集団生活は、避ける方が無難だと思うのだ
それに
私の老後のモットーは
「うんと面白い年寄りになる」ことだ
これは、映画「90歳 何がめでたい」から
草笛光子サン扮する
佐藤愛子センセイのセリフである
私は、こちらの生き方の方が向いている
好みが強すぎて、スタンダードではない
ありがたいことに
この頃は、ネットが発達して
好みや癖が強くても
動画や、ブログで配信して
同じように感じる仲間を探すことができる
私の「知己」は、現実より
むしろこちらで探す方が
見つかる確率も高くなりそうだ
それに、趣味と発信力を磨いて
例えば、好きな映画に関して
20世紀の映画ばかり集めて
趣味ブログを作って
同じ趣味の仲間を見つけて
オタク話に花を咲かせたい
となると、一人暮らしで十分なのだ
もっと言えば
自分が食べたいものを食べるには
自分で作るか
自分で総菜を買いに行ける生活の方がベターだ
施設によっては、ペット禁止のところもある
愛猫と離れるくらいなら
私は喜んで在宅ひとり死を選ぶ
訪問介護が充実していれば
認知症になっても
一人暮らしは十分に可能
最後を迎える場所も
自宅を選ぶことも十分に可能だ
……現に、私の父は最後は自宅で、と望み
病院から一時帰宅し
そのまま、自宅で息を引き取った
介護をしたのは私自身だから
「十分に可能だ」と断言もできる……
思いでの詰まった
しかも、自分が暮らしやすいように
家具や食器、本だなやベッドの位置を
自由にカスタマイズした自宅が
少なくとも、私にとっては
一番暮らしやすい、一番好きな場所だ
もちろん、これはあくまでも
私の趣味、私の意見で
ひとさまに、特に、性格やタイプの違う方に
押し付けるようなものではない
単なる、気楽な独り言のようなものなのだが
これで、お返事になってるだろうか
0 件のコメント:
コメントを投稿