フランスの名優、アラン・ドロンが亡くなった
私の子供の頃から
美男子の代名詞になってきた人だったが
私は、あまりこの人が好きではなかった
というよりも、この人の演じる役柄に
どうにも共感できず
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の精神で
アラン・ドロン本人が
あまり好きではなくなった、という方が正確だ
怪傑ゾロのような
明快なヒーローも演じはしたが
底辺を演じるときの方が
底光りのするような美しさに磨きがかかり
本人も、「のっている」ように見えた
代表作は「サムライ」と言われているが
私は「太陽がいつぱい」の
貧しい家の出身で、
裕福で性格のいい友人を殺して
財産も恋人も奪おうとする
冷酷な役柄の方をかっている
だが、一つ選べと言われれば
ルキノ・ヴィスコンティ監督の「山猫」
これは、イタリア版「斜陽」のような映画で
アラン・ドロンは
朽ちて倒れつつある名門の公爵家と対象的な
新しいタイプの男爵の役を演じている
チョイ役だが、傲慢なほどに若々しく
ここまで美しい男性がいるものかと
心底、ため息が出そうになったものだ
一度引退を宣言、その後、撤回はしたものの
さほど、華やかな活動は無かった
2019年、脳卒中を起こしたというニュースのあと
おととし、2022年ごろだと思う
大病を患っていて
自分の最期には安楽死を選んだ、と報道された
病名は、現在でも公表されてはいないが
安楽死、というからには
激しい痛みや苦しみを伴う病気だったのだろうと思う
その後、スイスに向かった、という記事を読んだ
次に聞くであろうニュースを
内心、覚悟した
だが
アラン・ドロンは結局、安楽死を選ばなかった
理由は、ウクライナだった
当時、86歳だったアラン・ドロンは
ウクライナ侵攻後すぐに
ゼレンスキー大統領に電話をし
プーチンに「腹が立つ」
侵略戦争に「嫌悪感を覚える」と語り
ウクライナに「私はあなたたちとともにある」と
連帯を表明した
その後、アラン・ドロンは
影日向なく、ウクライナの支援を続け
今年の4月には、ウクライナからの
最高位の勲章の授与を受けたばかりだった
アラン・ドロンが亡くなったとき
ウクライナは、Xで
ウクライナのために、安楽死ではなく
生きることを選んでくれた、と
深い感謝と哀悼の意を表した
見事だ、と思った
命の使いどころを定め
名優アラン・ドロンという名の持っている輝きを
最後まで使いつくし
持っている力の全てで、最後の最後まで
命を使い切り
嵐の中の樫の木が倒れるように
終わりを迎えた
私もこうでありたいと、まさに、生き方の
ロールモデルを見る思いがした
と、思ったら
昨日のことだ
アラン・ドロンの愛犬が「殉死」を免れた、という
ニュースが飛び込んできた
よく読んでみると
何と、アラン・ドロンは、自分の愛犬を
自分が死んだら、薬物で安楽死させて
一緒に葬って欲しい
「自分の腕の中で、この子を眠らせる」と
遺言を残していた
だが、彼の遺族は
まだ元気な愛犬、ルーポ君を殺すことはできない、と
遺言を執行しないことに決めた
これには、ブリジット・バルドーの主催する
動物愛護団体なども、強く反対していたそうだ
確かに、これはあんまりだろう
私も猫を飼っているが
私はむしろ、私の死後、この子が幸せに暮らせるような
道を整えてあげたいと思っている
私の息子は、重度の猫アレルギーで
愛猫を育てることはできないが
かといって、もし保健所などに連れていかれたら
愛猫がかわいそうで、かわいそうで
くやしいやら、恨めしいやらで
化けて出られるものなら
絶対に化けて出るだろうと思う
そうは思うのだが
この年になり、「死」が
現実味を帯びてくると
それだけではない
別の思いも、浮かんでくる
怖かったのではないだろうか
アラン・ドロンに限らない
死ぬのが怖くない人間など
いない、とは言わないが
かなりの少数派であることは間違いないだろう
アラン・ドロンも
一人で行くのが、どうしても怖くて
おそらくは、どの人間よりも信頼し
深く愛した、愛犬に
一緒に行ってほしかったのかもしれない
そう考えると
その気持ちだけは、わからないでもない
光も、かげも
表も、裏も
カッコいいところも、
えっ、と思うようなところも
両方備えているのが
人というものなのかもしれない
最後まで、人間らしい人間であった
アラン・ドロンに
献杯するとともに
謹んで、ご冥福をお祈りしたい
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