2024年9月19日木曜日

「SHOGUN 将軍」エミー賞総なめを、手放しで喜べない理由

エミー賞というのは
アメリカの、テレビ版のアカデミー賞だ
うれしいことに
今年のエミー賞は
作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、と
主だった賞を、全部とったのが
「SHOGUN 将軍」

名前からもわかる通り
日本の時代劇だ
とても簡単に言うと
関ヶ原の合戦の物語だ
これを、三浦按針
つまり、日本にやってきたイギリス人の航海士の
視線から描いた物語だ

主演男優は真田広之
プロデューサーも兼ねている
今までの外国でつくられた作品にあった
「妙な日本」をなくしたい
本当の日本文化を伝えたい
そのために、20年近く前からアメリカにわたり
ずっとアメリカに拠点を置いて活動していた
それが、大輪の花を咲かせた

配信は、残念ながら
DISNEY プラス が独占していて
HULU やアマゾンプライムでは見ることができない
だが
広告だけで見るだけでも
画面は圧倒的にきれいで
日本刀、鎧、着物、それに、茶室の内部にいたるまで
大変に資金をかけて
丁寧に、正確に作っているのがよくわかる

真田広之サン、おめでとう
日本文化を広めてくれて、ありがとう
と、言って終わりにしたいところだが

私は、これには手放しで
喜べない思いがしている

理由はいくつかあるが
まず第一に
露骨に言って
原作がつまらない
正直なところ、関ヶ原に至る物語など
大河ドラマで、見飽きるほど見ている

関ヶ原ものの最高傑作は
司馬遼太郎の「関ケ原」だろう
王道の、家康中心の物語で
これ以上のものは、今まで一度も出なかったし
今後も、ありえないだろうと思う

同じ関ヶ原を扱って
面白い、と思われるには
今までと全く違った切り口が必要で
実際に、近年にヒットした作品
例えば「真田丸」の切り口は
特に、秀吉が甥の秀次に
切腹を命じたとされている事件では
まったく新しい学説を採用
実に深い説得力があった

「SHOGUN 将軍」には
この鋭さが見られない
異文化に巻き込まれた、外国人の
ある種の、物珍しさがメインになっている
これでは
珍しがられる日本人の立場としては
「このあたり、もっと面白い話なんだけれどなぁ」と
なんともいえない、寂しさが残ってしまう

次に、「SHOGUN  将軍」と比べて
日本のふがいなさが目立つからだ

具体的には
日本の時代劇は、予算がかかりすぎるから
撮影されなくなった、と言われているが
実のところ、もう、時代劇を撮れる
スタッフが、どんどん減っている

例えば
時代物のかつらは、例えば同じ江戸時代でも
前期と後期で、髷が違う
女性の髪形は、独身、既婚者
それに、作品によっては、おいらん、芸者
全部、形が違う
この、かつらの作り分けのできる職人さんが
日本にはもう、ほとんどいないのだそうだ

着物もそうだ
衣装に必要な着物の布地を作る工場が
とうとう、廃業したと、風のうわさで聞いた

だが、「SHOGUN  将軍」が
これほどみごとな、美術や衣装をそろえているとなると
ひょっとしたら
腕自慢のスタッフは、とうに日本に見切りをつけて
アメリカにわたってしまったのではないか、と
何とも、無残な想像をしたくなる

役者も、時代劇のできない人が増えている
これは、真田広之も受賞スピーチで
非常に遠回しに指摘していたが
……時代劇を、現代的に作りすぎている、というあの箇所だ……

以前の大河ドラマでも、唖然としたことがある
徳川家康を主人公にしていたのだが
主人公の家康以下、家臣や奥方が
皆、部屋で棒立ちになったまま
ぺちゃくちゃと、しゃべっているのだ
……なぜ、座らない?
  痩せても枯れても、自分の主人だというのに
  その前で、正座と礼もせずに
  呆然と突っ立っているなど
  無礼うちにされても、文句は言えまい……

あとからわかった
座る所作、座りながら話す所作が、できなかったのだ
つまり
時代劇の基本すらできていない役者を使ったために
そういう演出にせざるを得なかったようだ
あのドラマは、俳優や脚本だけではなく
美術や小道具まで最悪に近く
途中で見るのをやめてしまった

この頃では
戦国・江戸の話では
配役に歌舞伎関連の人がいるかどうかを調べて
いないときは、最初から見るのをやめている
幻滅したくないのだ

時代劇が全盛期だったころは
セリフ回し以前の演技、所作には非常に厳しかった
そのころを知っているだけに
余計、寂しくなってしまうのだ

たとえば

有名な話だが
黒沢明監督の名作「七人の侍」を撮った時の話
のちに名優となる、仲代達也が、まだ若かったところ
ほんの数分、画面に映るくらいのチョイ役中のチョイ役で
出演することになった
ところが、まだ演技に入っていない
道を歩いているだけのシーンで
黒沢明に怒鳴られた、という
当時、仲代達也は、文学座という劇団に入っていたが
黒沢明は
仲代達也を叱るのに、仲代達也を超えて
「この頃は文学座は歩き方も教えないのか!!」と
大劇団、文学座を引き合いに出して
怒鳴ったそうである

なるほど、と思った
武士というのは、腰に刀を差している
刀というのは、鉄の塊だ
早い話が、重い
その重いものを持ち歩いているのだから
とてもではないが、スタスタなどと歩けない
腰は低く、一歩一歩が
町人よりも、重くなってくる
また、だからこそ
映画「七人の侍」では、刀を差さない主人公
「菊千代」の躍動感が生きてくる

私が子供のころまでは確かにあった
日本映画の伝統のようなものが
あっさりと消えて
今は、海の向こうのアメリカにしか
残っていないのか、と思うと
「SHOGUN  将軍」のエミー賞は
快挙には違いないが
なんだか、複雑で
手放しでは喜べないような気がするのだ

ちなみに、映画「七人の侍」は
白黒ではあるけれど
今、見てもとても面白い
かつ丼の上にステーキを山盛りにのせたような
見るだけでも体力の必要な作品ではあるが
まだ見ていない、という方がおられたら
ぜひ、一見をおススメしたい
ツタヤに行けば、すぐに借りられると思う













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